第5回は「六区」です。
写真の下に解説があります。
第5回
六区
浅草六区の興行街には劇場、映画館、寄席などが20軒近くも軒を並べ、
休日には兵隊や、そのころ「丁稚(でっち)」と呼ばれた若い労働者、学生などでにぎわった。
映画の入場料が一流封切館で20銭のころ、割引が常識の浅草では7銭がふつう。
丁稚でも浅草では1日遊べたんです。
明治36年(1903)わが国初の活動写真常設館として、電気館が開館。
大正のオペラ、昭和初年のレビュー・軽喜劇、 昭和40年代にかけて、
第一線で活躍した芸能人の大多数は浅草育ち。
その後、浅草の名物劇場などは少しずつ姿を消して形を変えていった。
そうすると奥へ帝国館、富士館、三友館、大勝館…
右は奥へ常盤座、東京倶楽部、電気館、千代田館と並ぶ。
写真は古い順に動いています。
1:大正初期
2:昭和7年
3:年代不詳。昭和初期か?読者の皆さんでおわかりの方は教えてください。
4:年代不詳。昭和初期か?読者の皆さんでおわかりの方は教えてください。
5:年代不詳。昭和初期か?読者の皆さんでおわかりの方は教えてください。
皆様の感想・ご意見・想いで話、
皆様がお持ちの古い写真などどしどしお寄せ下さい。
Photo出典:台東区図書館蔵・新撰東京名所図会(明治40年ごろ刊行)・東京名所画帖(明治末頃刊行)・大東京写真帖(昭和5年刊行)
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