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写真 STAS REVUE FANTASY 10th ANNIVERSARY

公演について

STAS、SKDについて

10/4雷門前でのキャンペーン動画配信

STASの皆様へのインタビュー

SKD(松竹歌劇団)とSTASについて紹介します。

SKD
大正11年4月に大阪にて松竹合名社分室に松竹楽劇部生徒養成所を作る。
後の大阪松竹少女歌劇団(OSK・現在の日本歌劇団)の前身、大正12年5月には、第1回公演を行う。 昭和3年8月、OSKの『虹の踊り』が浅草松竹座にて高い人気を集めたのをきっかけに、浅草松竹座の支配人が東京でも別に楽劇部を作ることを勧め、10月に16名(有名な水の江瀧子さんを含む)を一期生として採用。
当初は、一本立ちするには難しく、大阪組の東上時に合流・助演という形がとられていた。
昭和4年6月、二期生採用、東京松竹楽劇部(松竹歌劇団=SKD)の前身としての独立もこの年でした。
昭和5年3月、三期生を含めた浅草松竹座での『世界の東京』が成功。
その後、「春だ!踊りだ!踊りだ!春だ!」という歯切れいいキャッチ・フレーズとともに『東京踊り』は以後恒例化して東京名物に数えられた。
昭和6年6月、浅草松竹座がレビュー専門劇場になり、昭和7年10月には、東京松竹楽劇部が松竹少女歌劇部(SSK)と改称。ターキーこと水の江瀧子が男装で人気者に。
ですが、その後、国際劇場が消えSKDも解散となりました。

STAS
平成4年11月、SKD最後の舞台を共にした、千羽ちどり「S」、高城美樹「T」、明石薫「A」、銀ひ乃で「S」の4名が中心となり「STAS」を結成。
スター4名の頭文字のアルファベットから「STAS」という名称がつけられました。
今では、SKDを知らない若手達もオーディションを経て参加しています。
平成5年1月〜毎年全国各地でレビューが行われ、平成7年4月に浅草公会堂でのファーストレビューが行われました。
今回、「STAS」結成10周年の年に、故郷ともいえる浅草でのレビュー、とても楽しみです。

写真
銀 ひ乃で さん 高城 美樹 さん 千羽 ちどりさん 明石 薫 さん

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