今年も浅草の熱い3日間が終わりました。東京三大祭りの一つ、浅草三社祭。
「浅草い〜とこ」特集の記念すべき第1弾は「浅草三社祭レポート」です。
地元、時代屋ならではのライブ感溢れるお祭り参加レポートをお届け致します。
軒鼻に 網を描いた提灯の えにしも深き 宮戸川・・・。
清元にも謡われた三社祭。
![]() 軒下の提灯 |
今年も浅草の熱い3日間が終わりました。東京三大祭りの一つ、浅草三社祭。 「浅草い〜とこ」特集の記念すべき第1弾は「浅草三社祭レポート」です。 地元、時代屋ならではのライブ感溢れるお祭り参加レポートをお届け致します。 |
三社祭は言わずとしれた「浅草神社のお祭り」ですが、ごぞんじない方のために念のため。 浅草寺の起源にまつわる3人の聖者を3柱の神様としてお祭りしているのが浅草神社。 古くは「三社大権現」と称され、浅草寺の「観音様」と並んで「三社様」として崇め尊ばれて参りました。 その3柱の神様をお祭りする大祭が三社祭です。 江戸時代は絢爛豪華な山車(だし)が祭の華であったようですが今では神輿が祭の華となっています。 |
![]() 浅草神社 |
氏子44ヶ町それぞれが3日間に渡り町会神輿の渡御(とぎょ)を行い、浅草中が神輿で沸き上がります。 最終日には浅草神社から直々に「一之宮」「二之宮」「三之宮」の3基の神輿がお出ましになり全氏子町会をお渡りになります。 氏子44ヶ町は西部・東部・南部の3つのブロックに分けられ、一・二・三之宮が毎年入れ替わりで各ブロックを巡ります。 ちなみに町会も昔の町会区割・町会名を使うところが浅草らしいですね。 例年5月の第3週末の3日間がお祭りで、今年は5月の19・20・21日でした。 我らが時代屋は観音様の裏手、浅草3丁目にありますが、事務所が旧町会で「象潟(きさかた)一丁目:象一(きさいち)町会」、お店は「馬道二丁目:馬二(うまに)町会」に分かれており、先に事務所を置いた象一町会で三社祭の諸行事に参加させていただいております。 |
象潟の名前はその昔、当地に今の秋田県象潟藩の下屋敷があったことに由来しています。 浅草寺周辺が一大繁華街として栄えていく中で、浅草寺の真裏(観音裏)に位置するこの象潟の地に花柳界ができあがりました。 象一町会は伝統ある浅草の花柳界なんです。 「宮戸座」という芝居小屋もありました(今も碑が残る)。 見番界隈には数こそ少なくなりましたが今でも料亭・置屋があり芸者衆が行き交う花柳界独特の下町風情が漂っています。 特に三社祭の時は最高です。 純和風の料亭街に祭囃子が流れ、揃いの半纏の若衆に担がれた神輿が練り歩く傍らを芸者衆が晴れ姿で行き交う光景が見られます。 まるで明治か大正時代のお祭り風景そのもの。 これは浅草44ヶ町でも象一町会だけの風情です。 |
![]() 料亭の前 |
それでは早速、象一町会の三社祭にご案内です。これぞ日本の祭…。
5/19(金) 薄曇り |
13:00 浅草神社例大祭大行列 |
象一町会の目抜き通りである柳通り、見番・町会神酒所前周辺に行列一行が集合し、1時に発進。 「新門」衆の金棒の露払い、屋台囃子の「あやめ連」を先頭に44ヶ町の鳶衆の木遣り、役員さん、浅草神社神事であり東京都無形文化財の「びんざさら」、手古舞、芸者衆、「白鷺の舞」と続き、三社祭の神明を謳いながら目抜き通りを流して歩きます。 いわば三社祭のこけら落としです。 とかく勇壮な神輿のイメージが強い三社祭ですが、本来の神事としての三社祭の厳かさ、おおらかさを実感できる行列です。
「あやめ連」の粋さ、鳶衆の木遣りの鯔背さ、芸者衆の華やかさ、伝統神事の厳かさなど見所が一杯。 |
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山車と鳶衆 | 芸者衆 | 白鷺の舞 |
19:00〜21:00 町内御輿の町内渡御 | |
昨年の三社祭以来待ちに待っていた神輿。 担ぎ手のみんなもうれしそう。 3日間の初日ですから比較的担ぎ手も少なく、大体、毎年見知った町内の面々です。 ここから参加してこそ地元っ子。 神輿渡御の仕切は町会青年部の役目。 青年部のみんなはホントは自分が一番担ぎたいのに全員仕切役に徹し、担ぎ手が楽しく参加できるように盛り上げてくれます。 いわば先導役・警備・整理・安全管理役に加えてチアリーダー役まで。 青年部の結束・統率力はすばらしいです。 これは代々青年部先輩から受け継がれてきた象一町会の伝統です。 ちなみに青年部OBは薄緑色・現役青年部は茶色・一般担ぎ手は灰色っぽい藍色の半纏。 みんな背中には町名「象一」の古い字自体「象壹」の大紋が染め抜かれています。 この半纏を着た人でないと象一町会では神輿を担ぐことができません。 町会半纏のみで統一された神輿の渡御は圧巻です。 これだけ揃っている町会は浅草でも多くはないでしょう。 |
![]() 夜の神輿渡御 |
約2時間、町内を回り、町会神酒所に帰って終了。 初日は肩慣らしのつもりがどっこいみんな本気になっているから不思議です。 担ぎ手も引けた夜半、雨音が。こんな時こそ天気予報も外れて欲しいのに。明日は雨でも頑張るぞ・・・。 |
5/20(土) 終日雨(小雨、時々本降り) | |
今日は連合渡御。 氏子44ヶ町の町内神輿と子供神輿、併せて88基の神輿が浅草寺境内に集結した後、1基ずつ浅草神社本殿前に進み出てお祓いを受ける行事です。
11時半頃になると象一町会の目抜き通りである柳通りを他の町会神輿が次々と浅草寺境内を目指して進んでいきます。 |
![]() 神輿銀座 |
![]() お囃子 |
祭に付き物といえば祭囃子。 象一町会は花柳界でもあり、伝統芸能の「鳴物」の本家「望月太左衛」師匠一門が柳通り入口にてお囃子を打ち鳴らしてくれます。 神輿の大行列に高鳴る祭囃子。我よくぞ日の本に生まれたりの感を禁じ得ず。 なんとこの祭囃子は3日間、神輿が通るたびに打ち鳴らしてくれるのです。 ホントにありがたいです。 |
12:30、いよいよ我が町会神輿も出発です。 小雨降る中、青年部の仕切りのもと、祭囃子に見送られて出発。 浅草寺本堂裏の神輿集結地点に集結しました。 大小88基の神輿とそれぞれの担ぎ手、見物人も含めて数万人が大集結。三社祭ならではの醍醐味です。
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13:00 連合渡御発進 | |
一つずつ町会名が呼ばれ、それに従ってその町会神輿が担ぎ上げられ浅草神社境内に進んでいきます(浅草神社は浅草寺境内の中、浅草寺本堂の東に隣接しています)。 神官のお祓いを受けた後、参道を鳥居へと抜けてそれぞれの町会へと帰っていきます。 |
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![]() お祓い後の帰路 |
一基ずつのため時間がかかり、我が象一町会は雨の中待つこと約1時間、やっと我々の番がやってきました。 その時、三社の神様が我々を囃し立てるかの如くにわかに雨足が激しさを増してきました。 担ぎ始めれば雨なんかへっちゃら。 氏子総代・役員・来賓の見守る中、浅草神社本殿前に進み出た神輿は正面に向き直り、青年部リーダーの笛の合図(「差せ」の合図)で一斉に神輿をひときわ高く差し上げ、神様に敬意を表します。 この瞬間はまさに鳥肌が立つような感動の一瞬です。激しい雨も何のその。 担ぎ手の熱気で神輿全体から湯気が立ち上ります。 連合渡御も終え、無事、町会神輿も神酒所に帰り着きました。一同、お疲れさま。 |
町内では神輿の合間に子供神輿と太鼓の山車がでます。 さすがは浅草、子供達のいでたちも本格的な祭装束。 小さな手で山車の綱を握ってよちよち無心でついて歩く様子は可愛いやら愛くるしいやらで、たちまちアマチュアカメラマンに囲まれてしまいます。 こうやって浅草っ子は産まれたときから祭に馴染み親しんで、祭の血を受け継ぎ、山車の次は子供神輿、その次は神輿と、いい若い衆に育って10年後、20年後の三社祭を支えていくのです。 子供神輿でも青年部が世話役です。青年部は休みなしでほんとにご苦労様です。
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![]() 山車をひく子供 |
15:00 町会神輿の町内渡御 | |
祭も3日間の丁度中盤。 連合渡御で疲れたのか雨が止まないこともあってか若干担ぎ手の集まりは悪いものの、予定通り町内渡御を実施。 「乗せ上手」な青年部のリードで、担ぎ始めると元気が出てくるから不思議です。 「セイヤ、セイヤ」の掛け声が町中に響くとどこからともなく担ぎ手が増えてきます。最後は大いに盛り上がりました。 |
![]() 昼の神輿渡御 |
![]() 昼の神輿 |
担ぎ手は必ずしも町内在住の人とは限りません。 三社祭で神輿を担ぐことは神輿好きにとっては大変な名誉であるようで、日本中から担ぎ手がやってきます。 それぞれこの町内の人脈を頼って、「町内半纏」を手にして参加しているのです。 町内半纏は町内に住む人の家名や屋号が襟に染め抜かれており、半纏の名前が身元保証人になっているわけです。 いずれにせよ在住も外来もありません。同じ半纏が結ぶえにしです。 半纏は「絆纏」とも書きます。「絆(きずな)を纏(まとう)」。それが半纏です。 |
さてさてこの後、いよいよ明日の「宮出し」参加者の抽選です。 「三社の宮だし」に参加することは神輿仲間では非常な名誉。 参加が許されるのはこの抽選で当たった人のみ。 一町会で約70名。象一町会では抽選参加資格を男性に限定しています。 伝統を重んじているというだけでなく、荒れる「宮出し」を考えれば妥当な制限と言えるでしょう。 我らが時代屋関係者では4人が「当たり札」を手にしました。 「宮出し」に参加するのは大変な苦難を乗り越えなければなりません。 「当たり札」だけでは参加できません。明日の早朝3時半頃、町会神酒所に集合し、氏名確認の上で「当たり札」と引き替えで、「参加ワッペン」を手にして初めて参加が許されます。 |
![]() ![]() 当たり札・参加ワッペン |
18:00〜20:30 再び町会神輿の町内渡御 | |
雨は一向に止みそうもありませんが、いよいよ明日は宮神輿の渡御と思うと心はうきうき。 雨にもめげず参加。この町会にこんなに人がいたのかと思うほどの担ぎ手の数で盛り上がります。 担いで一汗かいた後のビールは最高。 ここ象一町会は花柳界ということもあって、料亭や料理屋さんから、神輿の休憩の度に「喉湿し(のどしめし)」としてビールやお酒、おつまみが振る舞われます。 1回の渡御の間に4回位色んなお店から提供され、それが3日間続きます。 ホントに感謝、感謝です。とうとう今日は一日中雨でしたが、火照った体に春雨がかえって心地よくさえ感じられます。 興奮のうちにようやく三社祭の2日目も終わりです。 三々五々散っていく担ぎ手。町会神酒所では「清元」の「三社祭」の曲が流れているのも花柳界の象一町会ならではの祭の風情です。
この後はみんなそれぞれの家々で夜が更けるまで宴会です。 |
![]() 夜の神輿渡御 |
5/21(日) 曇り時々晴れ |
ようやく雨が上がり、祭日和が期待できそうです。 今日は宮神輿の日。先ずは宮出し。 担ぎ手は朝の3時半集合で、うちの当選者4人も早朝出かけました。 待望の「参加ワッペン」をもらって、町会で纏まって浅草寺境内の担ぎ手集合場所へ。 バリケードが巡らされそこらじゅうに警察官が立ち、完全に一般者が入れないように物々しい警備体制です。 それから後はひたすら6時頃まで待つのみ。
一方、宮出しを見物するのも大変です。
浅草神社の境内には一・二・三之宮の3基の神輿が整然と並べられ宮出しの時を待っています。 |
6:00〜 8:50 宮出し | |
新門辰五郎の7代目に当たる「新門」の頭の音頭のもと、1万人はいるかと思われる担ぎ手の「シャンシャンシャン」の一本締めが終わると、一斉に3基の神輿が勢いよく担ぎ上げられます。 担ぎ手衆が我も我もと神輿の担ぎ棒に殺到し興奮のるつぼ。 あちらこちらで神輿の奪い合いで喧嘩・喧嘩また喧嘩。 まさに江戸喧嘩神輿の名の如し。 ようやく浅草神社の境内を出たものの、浅草寺本堂前広場も神輿を待つ担ぎ手でぎっしりと埋め尽くされています。 3基の神輿はもまれもまれて方向を失い、堂々巡り。 担ぎ棒が地べたに落ちてしまうことも幾たび。 神輿を仕切ろうと神輿に乗っかる「不届き者」が続出し、ますます神輿が重たくなって上がらなくなる。 |
![]() 陣頭指揮の新門の頭 |
過去には神輿に乗っかる人を排除すべく機動隊が出動する一幕もありました(ただし機動隊ですら神輿に近づけなかった)。 そうこうするうちに三之宮が浅草寺本堂前まで来て、観音様に敬意の「差せ」を行い、見物人から感嘆の声と拍手の渦が沸き起こりました。 本堂の大屋根に反響し、さながらスタジアム状態。鳥肌の立つ一瞬です。 この後7時頃、三之宮は無事浅草寺境内から出て東部町会の渡御へと向かいました。 我らが象一町会は東部町会に属しており、時代屋から参加した4人の担ぎ手もこの三之宮の担ぎ手の中にいました。 後で聞いた話ですが、その内の1人は何とか10秒くらい担げたがすぐはじき出されたそうです。 また別の1人は「差せ」の時に担ぎ棒に手が届いたそうです。それだけでも大変なことなのです。 |
さて、例年8時前には完了する宮出しですが、残る一之宮・二之宮は未だ浅草寺本堂前で立ち往生。 業を煮やした「新門」の頭が本堂前の櫓の柵に立ち上がって直々に陣頭指揮する一幕もありました。 一之宮はその後程なく西部町会へと出ていきましたが、二之宮は本堂前で一進一退をくりかえし、8時50分頃、ようやく宝蔵門を出て南部町会の一番手、仲見世町会に手渡されました。 早朝六時から延々2時間50分。ようやく男達の熱い戦いが終わりました。 |
本堂前の二之宮
10:30からと14:00から 浅草神社宮司様の宮神輿渡御ご視察 | |
一・二・三之宮が同時進行で西部・南部・東部各町会の渡御を行うに当たり、三基それぞれに浅草神社から騎馬の神官が随行されますが、浅草神社の宮司様は三基の宮神輿渡御を順に視察されます。 そのお足として我々時代屋が人力車でご奉仕させていただくというこの上なき名誉を賜りました。 警護役も含め車夫4名。このうち2名は今朝の宮出しにも参加した剛の者。何分大役のため、大いに緊張しておりましたがお陰様で無事お役目を果たすことができました。 午前中1回、午後1回、各2時間程。神輿の渡御に宮司様の人力車の組合せもいかにも日本の祭っぽくてまた格別でした。 |
![]() 宮司様の人力車 |
10:00からと13:00から 町会御輿の町内渡御 | |
![]() 町会神輿 |
「三之宮」が象一町会に来られる時間は16:50頃。それまで10時と1時の2回、町会神輿の町内渡御を行います。 昨日にもまして担ぎ手が増え、大いに盛り上がります。 お天気も回復し、見物客やカメラマンが町中に溢れ、お囃子の音も軽やかに響き渡りお祭りムードも満点。 さあ、後は宮神輿を待つのみ。 |
16:00 担ぎ手集合 | |
去年の一之宮の渡御以来待ちに待った宮御輿。 今年は三之宮が北隣の「象潟町会」から我らが象一町会に受け渡されます。 同じ「象一」の半纏を纏った数え切れない位の担ぎ手が、三々五々町のあちこちから町会神酒所前に集まって参ります。 町会神輿の時とは比べものにならない位、沢山の数です。 老いも若きも老若男女、思いは一つ、宮神輿。 皆一様に興奮と緊張の入り交じった表情です。 仕切役の青年部も気合いが入っています。 |
![]() 三之宮を待つ担ぎ手 |
16:50 三之宮、象一町会渡御 | |
ようやく三之宮が受け渡し地点までやって参りました。 先の象潟町会の手締めが終わり担ぎ手が神輿から離れるのを見届けてから、青年部の指示の元、象一町会の担ぎ手が神輿に殺到し、神輿の外回りに二重三重に担ぎ手の人だかりができます。 いよいよです。その時、あら不思議。 今日は朝から一粒も雨なんか降っていないのににわかに雨雲が出て大粒の雨が降り出しました。 連合渡御の象一町会の出番の時も雨足が激しくなりましたが宮神輿渡御でも雨が降り出しました。 神様が我々を囃したててくれるかのように。
雨の中、青年部の拍子木のリードで担ぎ手衆全員による一本締めがシャンシャンシャンと鳴り響き終わるや否や、一斉に三之宮が担ぎ上げられ、「ソイヤ、ソイヤ」の大合唱の中、神輿が上下に揺れながら進み始めます。
望月太左衛師匠門下のお囃子も最高潮に達しています。
象一町会から次なる馬二町会に受け渡す場所が近づくと、これが担ぎ納めとばかりに担いでいる人は担ぎ棒にしがみつき、まわりの担ぎ手は肩を入れようともがき合って、異様な盛り上がりのうちに約30分ほどの三之宮渡御も終わり、シャンシャンシャンの三本締めで象一町会の三社祭も無事おしまいとなりました。 担ぐのが忙しくてこの場面の写真をお見せできないのが残念ですが、代わりに次なる馬二町会での時代屋店舗前を進む三の宮の写真をご覧下さい。 |
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16:50 三之宮、象一町会渡御 | |
![]() 時代屋店舗前の三之宮 |
町会の役員さん、青年部のOB・現役の皆さん、飲み物等を提供して下さったお店さん、お囃子の望月さん、金品を寄付下さった町会有志の方々、その他お世話いただいたた皆々さまに心より御礼を申し上げます。 浅草に象一町会あり!! |
18:00〜 宮神輿三基の宮入 | |
氏子44ヶ町の渡御を終えた宮神輿三基が浅草神社に帰りつき、神輿倉に納められます。 朝の宮出しの荒れ狂う喧噪とは打って変わって、厳かに執り行われる宮入は三日間の祭りの締めくくりに相応しく、夜の静寂の中、「新門」の頭の音頭で木遣りの謡いと手締めの音が響き渡り、幕を閉じます。 |
三社が終わるとまた1年。浅草の1年は三社で始まります。
今年の三社祭レポートはこれにて一完の終わり。
軒鼻に 網を描いた提灯の えにしも深き宮戸川
三社祭に風薫る 町の名誇る半纏の 気合いをみせた宮だしや
一之宮から三之宮 荒れた神輿のその中に 幼なじみのあの人の
腕にちらりと入れぼくろ 命という字がにくらしい
(文責:時代屋)
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