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隅田川花火大会

由来 行く前に 行ってから せっかくだから

川開き花火の由来
両国の川開きは、享保18年(1773)に川施餓鬼を目的として行われたのが最初である。
隅田川の納涼は慶長年間(1596〜1614)に始まり、明暦の大火(1657)によって一時中断はしたものの、万冶年間(1658〜1660)に再び盛んに行われるようになった。そして、このころから納涼のかたわら花火を楽しむ風習が生まれたようである。
両国川開きのきっかけとなったのは、享保17年(1732)に起こった大飢饉であった。この年は、西日本一帯にいなごの大群が発生するなど例年にない凶作となり、多数の餓死者が出た。更に、疫病が流行して多くの死者を出すなど散々な年であった。
これを重くみた幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1773)5月28日(旧暦)、その慰霊と悪病退散を祈って、隅田川において水神祭を挙行した。この折、両国橋畔の料理屋が公許を得て、同日川施餓鬼を行い、花火を上げたという。
これが後年、川開きとして年中行事化されていったのである。
川開きは例年5月28日。この日から8月28日までの3か月間は隅田川に涼み船をこご出すことが許可されたのである。その初日に花火が上げられた。
(「墨田区史」より抜粋加除)

もっと詳しく知るには…両国花火資料館

鍵屋と玉屋
江戸時代、打上げ・仕掛け花火製造の元祖が「鍵屋」。
弥兵衛という大和(奈良)の人が1658年に創始したと言われる。
江戸へ出て幕府の「のろしかた」を見て仕掛け花火を考案した。
1716〜36年、隅田川の川開きに両国橋下で花火を打ち上げ、江戸の名物となる。
7代目鍵屋の時、番頭清吉を両国に別家して「玉家」を称して以来、鍵屋は両国橋の下流、玉屋は上流で打ち上げ「鍵屋・玉屋」と併称された。
「玉屋」は11代将軍家斉の時、火事を起こし40〜50戸を焼いたため江戸御構となり、一代で断絶するが、その名だけは残る。
花火の分類
●割物(わりもの)
上空で「ドカーン」と音をたてて花開く。
火薬の爆発力が強い。玉の一番外側の紙がこなごなになるという。

●ポカ物(ぽかもの)
上空で「ポカ」と玉が2つに割れ、中の部品が飛び出す。
割れた瞬間にピューと笛のような音を出したり、ブーという高い音をだしたりするものもあります。

●半割物(はんわりもの)
割物とポカ物の間に位置する花火玉。
「ドカン」といってから少し時間をおいて小さな花がたくさん咲くものがこれです。

●型物(かたもの)
構成にアクセントをつけるため、土星やハート形の花火がこれです。

花火大会に行く前に…
1 交通機関は…
車の場合、混むことを考えて早目に会場へ向かおう!!
「浅草い〜とこ」パーキング情報で前もって止めるところを考えておくと便利!

交通規制
電車の場合、帰りの切符は買っておこう!

2 待ち合わせ場所
万が一、はぐれたり、会えなかったりした時の為に場所を決めておこう!!
3 トイレの場所
前もって調べておくと便利。
「浅草い〜とこ」お手洗い情報で前もって調べておくと便利!
4 食べる
浅草にはおいしいお店がいっぱい。
テイクアウトのお店もいっぱいあるよ。
花火が始まる前にGETしておこう!

「浅草い〜とこ」食べる買うで情報GET!

行ってから…
1 風上をCHECK!
2 場所をSELECT!
キレイに見える場所、よ〜く検討してね。
トイレの場所もポイントだね。
3 プログラムをもらおう!
花火のタイトルなどもわかって楽しさ2倍だよ。

せっかくだから…
浅草を楽しんで行こう!
遊ぶ食べる、ホテルのバーもいいよね。


両国花火資料館
両国花火資料館 東京都墨田区両国2−10−8 住友不動産両国ビル1F

入場無料

開館日:5・6・9・10月:木・金・土・日曜日/10・11月:木・金・土曜日
(ただし、7・8月は毎日開館)
開館時間:12:00〜16:00

連絡先:墨田区文化観光協会
03-5608-6951

両国花火資料館 両国川開きの歴史は隅田川の歴史、

昔の花火の製造資料などもあり、

「花火のできるまで」ビデオも観られます。

20号玉(2尺玉)から3号玉まで原寸大の大きさの花火玉や

実際に使われている打ち上げ筒などを展示しています。

両国花火資料館

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