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Part1:平成中村座概要 |
平成中村座の由来・演目「法界坊」あらすじ・主要出演者紹介他 |
Part2:歌舞伎鑑賞入門 |
歌舞伎の歴史・用語解説・面白さ |
Part3:芝居小屋ができるまで |
江戸時代の小屋・浅草の小屋・平成中村座の小屋ができるまで・小屋にかける職人魂 |
Part4:「法界坊」解説 |
演目の歴史・見所・音楽他 |
Part5:公演鑑賞レポート |
Part6:平成中村座番外編 |
Part2 「歌舞伎鑑賞入門」
「歌舞伎」の語源は、その演出形式の中にある音楽的要素を「歌」、舞踊的要素を「舞」、科白劇(せりふげき)的要素を「伎」で表わしているが、実は比較的新しく作られた当て字。古くは「かぶき」と仮名で書き、流行の先端をゆく、もの珍しいことをするという意味の動詞「傾く」(かぶく)が名詞化したものだといいます。 慶長八年が歌舞伎元年(1603)と言われています。 出雲の阿国がその創始のスターだったとか… 京都五条あるいは三条や北野神社で興行したのが爆発的な大当たりとなる。絹の黒い僧衣をつけ、首から真紅の紐で胸に吊った鐘を叩きながら念仏踊りを踊ったり、男装して胸に十字架をつけた阿国の興行は評判に評判を呼んでいたといいます。 阿国の人気にあやかって、登場した歌舞伎。 しかも女歌舞伎だったというからビックリします。 だが、寛永六年(1629)、風紀上のトラブルが続いたことより、女歌舞伎が禁止される。 そこで現れたのが、若衆歌舞伎。若衆が女の役を演じることになった。 三代将軍徳川家光は、若衆好みだったといいます。 しかし、承応元年(1652)に若衆歌舞伎も禁止されてしまう。 そして次に現れたのが、野郎歌舞伎の時代です。 若衆の前髪を剃り落として、野郎あたまだけになった役者(男)だけで、芝居が演じられる。男優が女優にかわって女の役を演じる女形の登場がこのころです。 元禄時代は、歌舞伎の第一の発展期です。 上方(京、大阪)と江戸では、違った特色が強く打ち出されたりした。 初代市川団十郎が江戸の開祖である。 元禄時代は、五代将軍綱吉の冶政下にあった。世の中に活気があふれ、文化芸術は盛んになった。 享保時代には、歌舞伎には2つの大きな特色を加える。 1つが、人形浄瑠璃のヒット作の歌舞伎への移入、もう1つは、多彩な音楽の導入。 三味線が広く普及するようになった。 この頃、江戸四座(櫓をあげることが許された官許の劇場)は、この時以来、中村座、市村座、森田座、山村座でしたが、山村座は遊興が乱脈と指弾され、、永久お取り潰しを命じられる。 歌舞伎の発達とともに舞台も進化していき、廻り舞台などの仕掛けや工夫もとりいれられました。 また、その後、2大スターが登場する。 鶴屋南北、河竹黙阿弥である。河竹黙阿弥は江戸歌舞伎を、明治時代までかかって集大成したといっていい。そして時は経ち、江戸期の現代劇が、古典となった。 天保一二年(1841)の中村座と市村座の焼失から、森田座を加えた江戸三座は浅草へ移転を命じられる。森田座の「森」という文字がいけないと、安政五年(1858)に「守」に改める。明治元年、新富町に劇場を移転して、座名も新富座とする。 二十二年に歌舞伎座が開場するまで、ここが東京の第一級劇場でした。 明治中期から歌舞伎の脚本を座付狂言者でなく外部の劇作家が提供するケースも増え、「新歌舞伎」などが生まれた。別に「スーパー歌舞伎」なども生まれた。 歌舞伎は日本を代表する古典演劇としての声価はますます高まっている。 |
役柄 |
●女方(おんなかた)
姫 武家のお姫さま。華やかな赤い衣装を着ることが多いので「赤姫」と呼ばれる。 娘 町に住む商家の「娘」と田舎育ちの「娘」の2通り。 傾城(けいせい) 特に位の高い遊郭の女性。女方のなかでは難しい役柄。 片はずし(かたはずし) 武家に仕える局、奥女中、乳人。 女武道(おんなぶどう) 女方が発達すると女性で武道を得意とする男まさりの役が登場。 花車方(かしゃがた) 初期の歌舞伎の廓通いの演出から発展した役。恋の仲立ちやもめごとをうまく解決する役柄。 悪婆(あくば) 年寄りの女性のことではなく、男を破壊させるような独特の魅力をもった女性。 |
●立役(たちやく)
荒事(あらごと) 衣装は誇張され、化粧は隈取かつらや小道具も大仰で、様式的。市川団十郎から始まり、現在でも荒事は市川家の代々にお家芸として伝えられている。 和事(わごと) 上方歌舞伎の代表的な演技様式。演技、演出ともに柔らかく、色気のある男性の役。色事や濡れ場、傾城事などを中心とした役柄。 実事(じつごと) 落ちついた行動、的確な判断、冷静沈着な性格、目的のためなら軽率に動かない忍耐強さをもった理想の男性。抑制した演技で観客を引きつける演技力が必要。 若衆(かわしゅう) 前髪は元服前の少年の象徴。歌舞伎に登場する美少年。衣装を抜衣紋に着て(首すじに襟をつけない)派手な色柄の着物や袴をつけている姿などは若さを感じさせる。 半道敵(はんどがたき) 敵役の中でも、おかしみのある悪人を「半道敵」と呼ぶ。 道外役(どけやく) 番付(役柄のランク表)の位置から「三枚目」とも呼ばれ、日常使う「三枚目」はここからきている。 公家悪(くげあく) 位の高い貴人でありながらも超人的な力を持つ。藍隈という化粧で、不気味な雰囲気をかもし出す。 色悪(いろあく) 外見では色白の美男子でありながら非道な行為や犯罪を平気で行う悪人。 親仁方(おやじかた) 劇の中で重要な役割を持つ。単なる技巧では演じることができず、年輪を重ねた経験が必要となる。 婆(ばば) 老け役。 |
隈取(くまとり) |
歌舞伎の最も印象的な化粧。隈は描くとはいわず「隈を取る」と表現する。隈を取るのは、超人的な力の正義の味方、邪悪な心を持つ大悪人、鬼畜や神仏の化身、道外役など。役の性格がひと目で分かるような役割も果たしている。 「紅隈」は正義、血気盛んな若さ、「藍隈」は陰険で冷血、「代赭隈」(茶色)は神仏や鬼畜の化身を表している。 |
かつら |
役者の演じる人物の身分や職業、年齢、境遇を衣装とともに視覚的に印象づける重要な役割。 |
幕 |
歌舞伎の幕は原則として「引幕」を用います。「引幕」は江戸時代、幕府に許可された劇場にのみ使われた幕だったため、公認されていない神社の境内などで興行した芝居では使うことができず、いわゆる緞帳で舞台と客席とを仕切っていた。明治に入り、どの劇場も緞帳を使うようになった。「引幕」には定式幕と役者へ贈る贈り幕がある。ほかに道具幕、浅葱幕、夜の場面に使う黒幕、消し幕、花道や上手、下手の出入りに使う揚幕がある。 |
劇場のしくみ |
廻り舞台
江戸時代のはじめ、世界で初めて考案された廻り舞台。当時は人の力で舞台を廻したが、今は電動。 床 義太夫(竹本)の演奏をする場所。 セリ 舞台の中央を四角に切った場所を大ゼリ、その手前の小さな切り穴をセリという。歌舞伎にはかかせない演出を生み出している。 黒御簾(くろみす) 黒い簾と黒い板に囲まれた部屋の中では、歌舞伎のバックグラウンドミュージックを演奏している。ここを下座(げざ)ともいう。 スッポン 観客席より花道を見て、役者の出入りする揚幕から七、舞台から三の場所を七三という。 この位置に四角く切った穴を「スッポン」といい、ここからは幽霊、亡霊、化身、忍術使いなどの出ることが多い。 花道 1メートル半ほどの幅の舞台の延長。揚幕のついた鳥屋口と呼ばれる小屋までつながっている。観客との親近感を高める場所となり、観客の憧れと期待を役者も浴びる場所。 |
大道具 |
歌舞伎の舞台構造が整ってくると一定の様式を備えた舞台が作られるようになってきた。 また、大仕掛けといって観客の目前で廻り舞台やセリを使わずに舞台装置を転換させることもある。 |
仕掛け |
道具を使った仕掛けには、観客を楽しませるものがたくさんある。衣装にも仕掛けがあり、一瞬のうちに衣裳を替えることで正体を現す演出にも使う。
引き抜き |
音 |
歌舞伎はさまざまな芸能の影響を受けて成り立っているが、中でも人形浄瑠璃(文楽)からの影響が深い。歌舞伎の義太夫を「竹本」ともいう。歌舞伎の演目の音楽には「長唄」があり、語りの要素の強い音楽には「常磐津」や、繊細で技巧的な節廻しの「清元」がある。 それぞれについて少し説明します。
義太夫 |
ツケ |
立廻りや人物の出入りの際の小気味よい音をツケと呼ぶ。ツケは動作に音をつけるという意味で、様式的な演技・演出に不可欠です。舞台上手の幕だまりの近くで、拍子木のような形をしたもので「ツケ板」を打つ人を「ツケ打ち」という。 |
分類 |
時代物 江戸時代以前の世界に題材や人物をとった作品。武家のお家騒動もひとつのジャンルとして脚色された。 世話物 江戸時代の現代劇。題材は庶民の生活に取り、殺人事件や心中事件を即、脚色して人気を得た。世話物にはその時代ごとの反映があるだけに現代劇として歴史的な重さがある。 歌舞伎十八番 七代目市川団十郎は先祖の演じた得意芸の荒事を主として、天保11年(1840)に選定、「家の芸」とした。通用語で得意なものを十八番・おはこなどという語源もある。 |
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