トップへ トップ > 特集 > 2001年初春花形歌舞伎公演
花形歌舞伎タイトル

Part1:みどころ&おすすめ
初春花形歌舞伎のみどころ&おすすめ
Part2:今までの初春歌舞伎の歴史とそれを彩った役者たち
今までの初春花形歌舞伎のおいたち、エピソードを紹介
Part3:歌舞伎入門
Part4:今回の初春花形歌舞伎の演目
演目の歴史・見所・音楽他
Part5:公演鑑賞レポート
Part6:番外編(当選者レポート他)

Part5 公演鑑賞レポート

1月4日に松竹さまの計らいで私ども(Thanks! 一二三さん)は浅草公会堂へ。
私はイヤホンガイド初体験!「どこでしゃべってるの?」とキョロキョロ…
親切なストーリー、用語解説で楽しく鑑賞できました!(←オススメ!!)
感想載せてみました!

感想

 21世紀の初っ端に浅草の「花形歌舞伎」に行ってきました。
演し物は「正札附根元草摺」「一條大蔵譚」そして、お馴染み「弁天娘女男白波」。
 まずは「草摺」。舞台ど真ん中いっぱいに長唄囃子の雛壇がどーんとあって、唄が始まります。
役者の姿は見えません。
そして雛壇の中央がまっぷたつになり、奥からずずずいっと台に乗った五郎(中村七之助)と朝比奈(市川男寅)が、まるで五月人形のように登場します。
ここで客は「おーっ」。
彼らのセリフはなく、踊りだけですべてを伝えていきます。
年若い五郎の踊りは単純ですが、力強さが漲っています。
朝比奈はオトナらしく様々なニュアンスを伝える踊りで、バリエーションが豊かです。
これってそのままオトナとコドモの分別の違いを表していますよね。うーん、なるほど。
 そして、仇討ちにはやる五郎を力では止めることができないとわかると、今度は朝比奈、いきなり「女」になります。
私はここで大笑いしました。そりゃ「押してもだめなら引いてみな」とは言うけれど、それの表現が「女」とは。朝比奈はガタイがでかくって、しかもヒゲ面。そんな彼がてぬぐいを姉様かぶりにして、なよなよと踊る。
このギャップに客は大笑いするんですね。いいなあ、この無茶な流れ。
さらに朝比奈の衣装袖を見ると「かまいます」と染め抜かれている。
てぬぐいのお店「かまわぬ」を意識しているであろうことはわかるので、これにも大笑いでした。
でも、どうして「かまう」ではなくて、「かまいます」なのかしらん。
 そしてお次が「一條大蔵譚」。この芝居の見所は一條大蔵卿の「つくり阿呆」ぶり。
中村勘太郎が初役とは思えない、素晴らしい大蔵を演じています。
その阿呆ぶりがなんとも無邪気でかわいいのですが、どこか寂しさがあるんです。笑えるのに寂しい。
そんなそこはかとなく漂う寂しさが、この物語の伏線でもあったと知った時、私は本当に感動してしまいました。役者中村勘太郎にです。
 「大蔵館奥殿の場」で今までの阿呆はどこへやら、凛々しい大蔵になって勘解由首を切ります。
彼は心情を吐露し、鬼次郎夫婦に源氏の重宝友切丸を手渡して、また偽りの阿呆に戻るのですが(その変わりぶりもストンと音が聞こえるほど早い、見事です)、「これからは狂言舞だけを楽しみに世を送る」と、からから笑います。
今までのつくり阿呆の大蔵に漂う寂しさは、誰一人として彼の心情をわかる者がいない中で、偽りの自分を演じなくてはならなかったことだったんだなあとしみじみ思いました。
でも、いまや彼はひとりぼっちではありません。
心情と立場を同じくする常陸御前という味方がいるのです。
 ちょっと間違えると、志村けんの馬鹿殿になってしまう「つくり阿呆」の大蔵に、うっすらと寂しさをも帯びさせることができたのは、勘太郎の力なんでしょうね。
まだ19歳、先が楽しみな役者さんです。
 「弁天娘女男白波」は馴染みのある名調子のセリフが心地よく、私も頭の中で一緒にセリフを言ってましたね。
何度見ても楽しい芝居です。
かわえひふみ
 数年ぶりに「寒い」と実感する正月を迎えた1月4日に、美しく着飾った方々に混ざって、楽しく拝見してきました。
 浅草公会堂は10月にアクロバティックなダンス公演を見たばかりなので、同じ舞台の変わり具合が楽しみでした。

  『正札附根元草摺』は、父の仇を討ちにいこうとはやる曽我五郎(七之助)と、止めようとする小林朝比奈(男寅)が、草摺(鎧の腿にあたる部分)を掴んで、行くな行かせろと引っ張り合うもの。
男二人の間には、優雅ながらも力強い緊密な空気が張りつめます。
んが、どうにも五郎の決意が固いとみると、朝比奈はなんと、手ぬぐいで「姉さんかぶり」をし、馴染みの女の格好でかき口説く。
しかしこの朝比奈といえば、モミアゲが鼻毛までつながった、毛むくじゃらの顔です。
それが女装って、おい。他に方法はなかったんか! という観客の突っ込みを一身に受けて女振りを踊る朝比奈。
大いに受けておりました。

『一條大蔵譚』の見どころは源氏再興を願って煩悶する吉岡鬼次郎(獅童)とお京(芝のぶ)の凛とした姿、つらい胸のうちを隠しつつ恨みの炎を密かに燃やす常磐御前(亀次郎)、そしてバカ殿(一条大蔵卿=勘太郎)。
 ご存じの通り歌舞伎の場合、「○○と見えて、じつは××」というのが多いですが、これもそう。
常磐御前が宿敵・平清盛のメカケになっているのは、じつは子供達の命を守るためであり、オモチャの弓(楊弓)で遊んでいるとみえたのは、じつは的の裏に清盛の絵姿を射って呪っていたのであり、そうとは知らずに常磐御前を裏切り者呼ばわりして打擲した鬼次郎はカッチョよく見えてヌケ作なのであり、ヌケ作と見えたバカ殿は実は源氏蜂起の時期までも見越した深慮遠謀の人なのであり、でも蜂起は当分先だろうから、またしばらくバカ殿のままに暮らす人なのでした。
 やはりここで光るのは勘太郎。親ゆずり、遺伝子レベルで受け継がれたバカ面。
一瞬マジになるときとの落差が見事でした。

『弁天娘女男白浪』はもう、この話を知らなかったら言って聞かせられても文句は言えない、お馴染み話。弁天小僧に亀次郎。
 とても知的な万引き&詐欺の方法が公開されます。
こういう「悪の魅力」こそ、歌舞伎の伝統芸能としてのフトコロの深さでしょう。アメリカの「正義の味方」のいかにインチキくさいことか。
 見どころは、悪事が露見して開き直る弁天小僧のくだり。亀次郎の声が、とんねるずの石橋貴明に似ているのは気のせいかもしれません。
 そして二幕目、稲瀬川の土手に一列に並んだ5人組。薄蓬色の幕がパッと引き落とされると満開の桜並木……のはずが、なんと上手(舞台右)の端が引っかかり、ピーっと音を立て裂けていくというハプニングがありました。
 もちろん、何事もなかったかのように芝居は進み、大立ち回り。楽しく、爽快で、 ニコニコの空気のまま外へ。
 新世紀に若手の初々しくて勢いのある、ステキな舞台でした。

乗越たかお

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