トップへ トップ > 特集 > 2003年三社祭

今年も三社祭の季節がやって参りました。
44町会は大きく3つに分かれていますが、今年は…
時代屋もお世話になってる「東部12町会」特集です!
ご協力いただいた東部町会の皆様に感謝、感謝!!

今までの三社祭特集はこちら!
  

当日のスケジュール!
東部青年部連合会会長 近藤さんに聞いちゃいました!
東部12町会の町内自慢、スペシャリティー、半纏特集!
三社祭当日おっかけ東部12町会!
特別番外編

今年の三社祭の投稿画像を募集中!
今年の三社祭の画像を募集します!
ご自慢の画像を投稿下さい。お待ちしております。
画像容量は1MB以内でタイトル、投稿者名(ハンドル名OK)、簡単な解説を一緒にメールでお送りください。jidaiya@asakusa-e.com

投稿いただいた画像をすべて掲載できないこともございます。ご了承下さい。


東部12町会の町内自慢、スペシャリティー、半纏特集!

東部町会青年部代表の皆様に貴重なお時間をいただき
一人一人インタビューさせていただきました。

浅草馬一(あさくさうまいち)
東十二番 浅草馬一町会青年部長 山田晴彦さん

1970年生まれ。
職業はクリーニング屋さん。
「三社はオレにとって生きる糧です!」

神輿と一緒に新調
馬と一が細かい模様に

 馬一町会の半纏は、23、4年前に、神輿を新調する時に一緒に新調されたそうです。「馬」と「一」が細かい模様になっているもので、町会半纏は紺色、青年部半纏は利休色という、茶人・千利休が好んだといわれるお茶の色です。
半纏と同じ時期に作られた町内神輿についている鳳凰の目には、実は0.05カラット のダイヤモンドが埋め込まれています。町内のある方が寄付してくださったものだそうです。ダイヤに光に当たるとキラキラときれいですよ。

44ヶ町一、綺麗な渡御を!
浅草神社隣接の町会の心意気

 うちの町会は浅草神社に隣接する町会で、小さい頃から神輿を担いできた本物のお祭り好きばかり。特に神輿を担いで練り歩く渡御には力をいれていて、44ヶ町で一番キレイな渡御にしようという心意気を皆が持っています。お手伝いいただく同好会も、みな馴染みの団体ばかり。皆で気持ちを合わせてがんばりますので、注目してください!

浅草馬二(あさくさうまに)
東七番 浅草馬二町会青年部長 高橋典央さん

1972年生まれ。
父親は馬二町会初代青年部長という町会のサラブレッド。
モットーは「とりあえず、今やれることをやる」こと。
職業はグラフィック・デザイナーで大手デパートなどの広告デザインの仕事をしている。日々磨いているセンスの良さがウリ。

馬二町会だから
半纏に馬2頭をデザイン

 東7番・浅草馬二町会は、これといって特徴のある地域ではありませんが、東部町会の中ではダントツで広い地域です。人だけは大勢いますので、マンパワーは十分。でも、マイペースな人が多い地域ということもあって、何かを決めるにしても意思統一や連絡に時間がかかりますね。
「馬二」という町会名から、私たちの町会半纏には馬2頭がデザインされています。私 の親父たちの世代が、ああでもない、こうでもないと議論しながら作ったのだそうです。町会半纏はねずみ色で、青年部の半纏は茶色です。青年部の半纏は町会半纏に遅れること3年目くらいに作られたのだそうです。
 私は今回、初めて青年部長として三社祭を仕切ることになります。重責ですが、初代青年部長だった親父をはじめ、周囲に相談できる人が大勢いるのは心強い限りです。馬二町会は上から下まで縦のラインがいい意味でまとまっているので、何事も上に相談しやすい雰囲気がありますね。祭りは昔からの決まりごとが多いですから、わからないことや困ったことがあれば経験者に聞くのが一番です。

馬二町会青年部は
イケメン揃い!

浅草神社隣接の町会の心意気
 馬二町会青年部の一番のウリは元気な若者が大勢いることです。しかも、私を筆頭に イケメンが多い!これは東部12町会中、随一ではないでしょうか(笑)。マジな話、神輿や半纏よりも人間、部員一人ひとりを見てほしい。普段はマイペースですが、やるときにはやる、イケてる連中だと思います。ぜひ、見に来てやってください。
 それから副部長が勤めているアンデスのパンをよろしく!特におすすめはパンプキン・あんぱんです。わざわざ遠くからそれを目当てに買いに来るお客様もいるそうですよ。

浅草馬三(あさくさうまさん)
東三番 浅草馬三町会青年部長 内山晴喜さん

1970年生まれ。誕生日は10月5日。
前後6ヶ月は誕生日プレゼント受付中。
マリンスポーツ、釣りが趣味。普段はコンピュータ関係の仕事についている。
チャームポイントは広いおでこ。

背中の大紋が浅草の「浅」
町会と同じ半纏に町の絆を感じて

 背中に大きく染め抜かれた浅草の「浅」の字が特徴の半纏。町会半纏と青年部半纏を色ではっきりと区別しているところが多い中で、馬三町会の半纏は町会と青年部は同じ色、同じ柄で、青年部用は、襟に「青年部」とあるだけです。これは、うちの町会のコダワリでもありますし、本当に争いごとが少ない、統率がとれている町会であることの証だとも思っています。ケンカなどが起こりやすいと、それをパッと仲裁させるために、どこの所属か、どんな立場かが周囲に識別しやすい半纏が必要になってきますが、うちの町会は本当にまとまっていますから。
 人数も多い町会ということもあって、うちの神輿はうちの町会の半纏を着ている人だけしか担ぎません。揃いの半纏で担いでいると、見た目もきれいなんですよ。その辺りは、ぜひ、見てやってくださいね。

歴史と伝統のある青年部
夜が強いのが特徴

 馬三町会青年部は、今の町会長が組織したといいます。40周年を迎えたということですから、町会青年部としては、44ヶ町でも古いほうですね。若くて元気がいいところ、個性的な人が多く、副部長をはじめ、女性もパワフルです。馬三町会の名前にちなんで、毎月3日は馬三会合の日と決まっています。
サラリーマンが多くて三社祭のような大きな行事の時は時間のやりくりも大変ですが、夜が強いのもうちの特長の一つで、会合がエンドレスの飲み会に突入し、2時、3時までになることが多いんです。三社祭はあると大変だけどないとさびしい。皆にとってもそうなんじゃないでしょうか。

浅草象潟(あさくさきさかた)
東六番 浅草象潟青年部長 柏木 淳さん

1971年生まれ。
根っからのお祭り好き。
30代になって落ち着いたが、かつては祭りとくれば毎週のように、他地域に神輿を担ぎに行っていたという。
「実は今年も神田祭に担ぎに行きました(笑)」。
普段はフリーのPAとしてイベントなどで音響関係の仕事をしている。

とにかく目立つ!
渋い水色の青年部半纏

 東6番・浅草象潟町会は、花柳界に隣接している地域で、昔から飲食店がたくさんあり ます。仲見世など、いわゆる浅草の「表」で商売をしている商店主や役者さん、職人さんが、店じまいしてから飲みに来るような店が多く、「一見さんお断り」の店や「会員制」と入り口に明記している店も少なくありません。でも、それは、常連さんや地元の人に安心して飲んでもらうための知恵。誰かに一度でも連れてきてもらえば次からはグッと敷居が低くなります。仲良くなれば人情に厚いのが象潟です。
 さて、私たち象潟の町会半纏は、藍染めで煉瓦格子という柄の伝統的なスタイルです。半纏自体に特に意味はないようですが、「とにかく目立つように」と30年前くらいに作られたそうです。ちなみにうちの町会では青年部にも20年ほど前に作られた独自に渋い水色の半纏があります。当初、「なんだかピンとこない色だなあ」と思っていたのですが、祭りの時はあまり他にない色だけに目立つので、今ではとても気に入っています。町会半纏だけじゃなくて青年部半纏の特集をやったら、うちが一番かっこいいんじゃないかな(笑)。

今年はケンカがないように
キッチリ仕切りたい

 私は青年部長について2年目で、今回は2度目の三社祭になります。去年は皆に顔を覚えてもらうので精一杯でしたが、今年はもう少し余裕を持って仕事ができると思います。  去年はケンカが起こってしまいましたので、今年はないようにしたいですね。祭りの時は皆が興奮状態ですから、「オレにも神輿の前のほうを担がせろ」とか、ささいなきっかけでケンカが始まってしまいます。実をいえば私もケンカっぱやいんですが、講の代表としての立場がありますので、努めて冷静に場を仕切っていきたいと思っています。
 個人的には、三社祭の一番の見所は、5月18日の本社神輿の宮出しと宮入りだと思いま す。宮出しは朝6時からと早いですが、来る価値は十分ありますよ!

浅草象三(あさくさぞうさん)
東二番 浅草象三町会青年部長 宮崎信夫さん

1972年生まれ。
青年部への入団は23歳の時で、比較的遅いほうだった。町会事務所の向かいで靴材料の会社を営む。今回の三社祭は青年部長になって初めての経験。
趣味は野球やゴルフ。見るのもやるのも好き。

漢字の「象」に浮き上がる
白抜きの「三」

 東2番・浅草象三町会の半纏は、20年前、青年部が町会の上役と相談しながら作ったそうです。グレーの格子柄で、漢字の「象」の字に漢数字の「三」が白抜きで浮き上がるようにデザインされています。また、「象」の字は全体に丸みを帯びている華やかな文字でボタンの花をモチーフにしているのだそうです。仕事で江戸文字に携わっている人が中心になって作ったということで、粋なデザインだなあと思います。
 ほかの町会さんには青年部で独自に違う色やデザインの半纏を作っているところが少なくありませんが、うちは青年部用には「青年部」と文字が入っている以外には、町会半纏と同じです。ただ、一昨年から、青年部の中で、数人の仕切り役用に茶色の半纏が新たに作られました。これは、本社神輿など大きな神輿が来る時に、責任者を明確にするために着用するもので、警備の緑半纏と似た役割を持っています。

44町会の最北を守る
体育会系武闘派

 私たち象三町会は、浅草44ヶ町の中で、一番北の端に位置しています。老舗が軒を連ねたり、歴史があったりという派手さはありませんが、「北の守りは俺たちに任せろ」といた武闘派、というか体育会系の雰囲気がありますね。厳しい先輩も多いですし、上下関係がしっかりしています。外から人が流れてくる地域ではなく、地元の人が生活している本当の下町、といった雰囲気がありますね。祭りも町の人と思い切り楽しめたらいいと思っています。そうそう、うちの町会の神輿は大、中、小神輿、引き太鼓揃って、44ヶ町の中でも立派なほうだと思います。ぜひ見てください!

浅 五 会(あさごかい)
東一番 浅五会青年部長 赤石 謙さん

1970年生まれ。
利き肩は左。以前は野球をやっていた。物心つかない頃から三社祭に関わっており、祭りは「人生になくてはならないもの」。特に宮出しはアドレナリン出まくりとのこと。
普段は建築関係のサラリーマン。

松皮菱の文様
グレーの渋い半纏

 東1番浅五町会の半纏は、大小の菱形を連続させた文様の「松皮菱」が特徴です。色は渋いグレーで、風格を感じさせます。一昨年まで町会半纏と青年部の半纏は同じ色、同じ柄のものを使っていました。青年部だけ別の半纏を作ると「オレが、オレが」となってしまい、団結が崩れるからと、なかなか町会のOKがもらえなかったんです。去年、私が青 年部長になった時に、「今は時代が違うのだから、若いヤツが、あの半纏を着たいと集まってくるような青年部の半纏を作ってみたい」と町会に掛け合い、ついに長年の夢だった青年部半纏が実現しました。柄は町会のものと同じですが、色は鮮やかなマリンブルー、襟の文字も縁取りして目立たせています。何回も会合してみんなで決めた半纏なので、思い入れも深いですね。今年もこの半纏を着て、がんばりたいと思っています。
宮渡御が町内にやってくる
50分間に力を込めて

 浅五町会のエリアは東部町会12町の中で一番狭いエリアで、隣接する東一町会と、盆踊りや地域の神社の祭りなどを合同でやっています。東一町会は浅草神社の氏子ではなく今戸神社の氏子なのですが、なぜか行事は昔から合同です。これはほかの地域にはないユニークな特性だと思います。
 浅五町会は44ヶ町のはずれにあり、華やかさはあまりなく地場産業の靴関係の製造・卸業が多い地域です。でも、青年部の団結は強く、三社祭の時には仕事を犠牲にしても担ぎたいという心意気を持って、みんなが祭りを楽しみにしています。
 特に、宮渡御が町にやってくる18日の午後1時30分から14時20分の50分間をどれだけしっかり担ぐかが、私たちの最大の見せ場だと思っています。部長になって2年目の三社祭ですが、しっかりやりたいですね。

象 一(きさいち)

写真:青年部長
(連合渡御発進前の緊張の一瞬)
東九番 象一町会青年部OB いづみやさん

47歳。見番いづみやの通り名で知られる呉服屋さん。象一町会の半纏も布地の染めから製作している。
20年前は象一町会の青年部長も経験。ちなみに現在の象一町会青年部長は甥にあたる。
青年部OB会にあたる「象友会」を主宰。

伝統の正藍・本染め
これぞ本物の半纏だ!

 東9番・象一町会のエリアは昔から花柳界のメッカとして栄えた伝統のある地域。いづみやはこの地の見番前で代々のれんを守ってきた呉服屋です。もちろん象一町会の半纏もうちで作っています。正藍の本染めで、化学薬品は使わず昔ながらの手法で染めていきます。藍は繊細な染料ですので、2月に注文を受けたら一気に使用する布を染めないと、色が違ってしまいます。洗えば色落ちしますし、本来は藍を馴染ませるために製作してから着るまで5年〜10年寝かせたものでした。現代流通している一般的な半纏よりも手間がかかりますが、半纏とは本来そういうものです。また、「角通し」という細かい四角の文様が入っているのも象一町会半纏の特徴です。これぞ本物の半纏だと自負しています。同じデザインで青年部は茶色、青年部OBは緑色の半纏を別に作っています。
芸者衆の町のお囃子は
44ヶ町髄一の本格派

 象一町会に、なぜ青年部OB会をなぜ作ったかといいますと、お嫁にいってしまった町会の女の子や、仕事などで長い間町を離れていた人が、三社祭の時で戻ってきた時、気軽に祭りの輪に入れるようにするためです。この町は、観光客相手の商売ではなく、馴染みや常連客で商売をしている地域。むやみに人を詮索したり邪魔したりはせず、本当に困っている時には助けるというあうんの呼吸があります。三社祭でも、そういう地域の心意気を子供たちに伝えていきたいと思っています。
 それから、神輿と一緒に町内を練り歩くお囃子は数あれど、この象一のお囃子は花柳界のプロ中のプロが担当します。特に宮神輿が柳通りに入ってくる18日の午後4時頃は、最高のお囃子を聴くことができると思います。一見の価値はあると思いますよ。

猿 若(さるわか)
東八番 猿若町会青年副部長 小野友久さん

1972年生まれ。
部長は海外に出張中(三社祭にはもちろん帰国)ということで、猿若町会青年部を代表して取材に応えてくれた。
副部長になってからは5年目で、三社祭の仕切りもベテランの域。
商社勤務。趣味は釣り。

襟に「くくり猿」の紋
歌舞伎の町の歴史を刻む

 東8番・猿若町会のある地域は、昔は中村座、市村座、守田座が座を構えたことから「猿若三座」と呼ばれる歌舞伎のメッカだった地域です。天保の改革の時、幕府の政策で江戸のはずれに歌舞伎座が移されたのですが、隣町の吉原とともに、大いに栄えたようですね。中村勘九郎の名跡をたどっていくと、「猿若勘九郎」と名乗っていた時期もあるようです。町会半纏の襟についている平仮名の「う」の字に似た「くくり猿」の紋も、このような町の歴史に因んでいます。町名と縁のあるシンボルをと、初代町会長が、歌舞伎の市川猿之助さんの紋をアレンジしたのだそうです。町会半纏の色はブルーグレー、青年部の半纏は同じ柄の色違いで濃いグリーンです。私がまだ物心つかなかった頃は、無地だったという記憶がありますから、それ以後、現在のものになったのだと思います。
現在はメーカー、問屋街
年に一度、グランマルシェ開催

 昔は大道具さんなど歌舞伎関係者が大勢住んでいたそうですが、今はかつての歌舞伎の町の面影はなく、町中に、「〜座跡」の碑が残っているだけです。現在、この辺りはメーカー街、問屋街になっています。年に1度、11月の下旬か12月の初旬にメーカーさんや問屋さん共催で安く商品を提供する「グランマルシェ」というイベントがあり、町会有志がお手伝いします。その時は大勢の人手で賑わいますが基本的には地味な町です。三社祭のような大きな祭りの時も、観光客やって来てお金を落としてくれる地域ではありません。でも、だからこそ、好きでやっている、自分たちのためにやっている、という意識が強いですね。地域の人たちは皆仲がいいし、結束も固い。これは44ヶ町一じゃないかと自慢できるところです。

聖 天(しょうてん)
東五番 聖天町会青年部長 滝上浩司さん

1970年生まれ。
5月から9月の間は、毎週末、どこかのお祭りに顔を出している無類のお祭り好き。「三社祭は待ち遠しくて、終わるとさびしい祭り。人生の一部です」とのこと。
某大手アウトドア用品メーカーに勤務している。

「44ヶ町にない色を」と
色にこだわった町会半纏

 聖天町の半纏は、20年前、その時に青年部長だった田口さんを中心に、「44ヶ町で、どこも使ってない色を」と、色にこだわって作ったといいます。グレーで、三社の網模様が入り、背中の印は「浅草」。もっと古い時代から、背には「浅草」というのがうちのスタイルだったので、それだけは残してほしいという古参の人たちの要望があったといいます。6年前、同じデザインで薄いグリーンの青年部半纏を作りました。これは現・青年連合会会長の近藤さんが青年部長だった代に作ったものです。半纏には、いろいろな人の、いろいろな想いがこもっているので、大切に着たいと思っています。
 聖天町は縦のつながりが強い地域ですが、基本的には「やりやすいように、楽しくやってくれ」と、上が青年部の考えを尊重してくれます。町会には三社祭の一の宮、二の宮、三の宮の製作に関わっている宮本太鼓店の宮本さん。その名に恥じないような祭りをするのが私たちの心意気です。

元気をわけてあげるから
聖天町にいらっしゃい!

 靴やカバンなどの製品や部品を扱う仕事をしている家が多い地域ですが、青年部はほとんどがサラリーマンです。青年部は全部で20人ほどいます。皆、お祭り好きで、浅草のエリアを越えて、いくつかの他地域の同好会と親交があり、互いに神輿を担ぎに行き来しています。仲良くやりつつも、全員、自分が一番かっこいいと思っているところが、うちらの特長かもしれませんね(笑)。3月、4月には隅田川沿いで花見のイベントもあり、活気のある活動をしています。元気で活気ある聖天町にくれば、きっと元気になれます。これを読んでいるそこのあなた!元気をわけてあげるから、聖天町にいらっしゃい!

田聖睦(たしょうむつみ)
東4番 田聖若衆睦会長 小林利也さん

1968年生まれ。
以前は家業を手伝っていたが、現在は不況に強い「黒ネコヤマト」でアルバイト中。
父親は知らない人はいないと言われている名物町会長。
「三社祭は全国に誇れる祭り」と言い切る小林さん。
会長2期目の今年も三社は熱い!

半纏にだけ存在する町会名
「田聖睦」の文字が光る

 「田聖睦」という町会はちょっとユニークな組織体系を持っています。もともと、この辺りは周辺の町会を含んだ「田町町会」という広い町会でした。それが戦後の区画整理で分割して、現在の形になっています。そうしてできた新しい町会からあぶれた「旧田町」の一部と、「聖天町」の一部が、祭りの時になると「田町聖横町会」という町会で活動します。それを略して「田聖睦(むつみ)」といい、この名前は町会名として登録され、半纏にも染め抜かれています。「田聖睦」には他の町会だと青年部にあたる「田聖若衆睦」という若者の組織があります。青年部長にあたる役職は、「会長」と呼ばれています。この辺りも他の町とは異色なところでしょう。若衆睦は、町会半纏と同じ色、同じデザインで、「田聖若衆睦」と書かれた半纏を着ます。
土曜日の18時、浅間神社
6町会の神輿が集結!

 今回、力を入れているのは、土曜日の午後6時に町内の浅間神社に6町会の神輿が集結して、町内を練り歩くことです。田聖睦にとっては大きなイベントなので、がんばりたいと思っています。
 うちの町会は44ヶ町、唯一、「信号のない町」として知られています。金融機関は郵便局が一つだけ。飲食店も一軒しかありません。浅草の中では地味な地域といえるでしょうが、祭りに対する心意気だけは、どこの町会に比べても熱いと思っています。今年も大いに盛り上がりたいですね。

花川戸一(はなかわどいち)
東十一番 花川戸一町会青年部長 矢貝正裕さん

1970年生まれ。
職業は水道屋さん。
「三社祭は、私にとって”戦争です!」

細かい翁格子に
背中の上がり藤

花川戸一町会の半纏は、太い格子の中にさらに多くの細かい格子を表した「翁格子」柄が特徴です。ねずみ色の生地に紺で描かれた翁格子は、かっこいいし、粋な柄だと思っています。そして背中には二房の藤の花を左右に輪型に配置した「上がり藤」の紋。同じ柄で青年部の半纏は茶色です。
松屋がある町会
駅構内に神輿が入る!?

 花一の地域的な特徴を挙げると、町会の中にデパートの松屋があることでしょうか。駅と直結している松屋のエントランスまで、神輿を担ぎいれることもあります。町会の人たちは、99%酒と女が大好きな人たち。私はこれが青年部長になって初めての三社祭です。本当に忙しくて、びっくりしています。特に携帯電話は、見たことのない番号から、祭りに関するいろいろな用件で電話がかかってくるので、慌てることも多いです。これが最初で最後とならないよう、女にかっこいいと言われ、おいしい酒を飲むためにがんばります。

花川戸二(はなかわどに)
東十番 花川戸二町会青年副部長 柴田秀幸さん

1972年生まれ。
副部長に就任1年目、今回が副部長として初めての三社祭。
「三社は、オレそのものです!」と言い切る威勢の良さがウリ。
職業はマッサージ師。

「花川戸」の三文字を
大胆にデザイン

花川戸二町会の半纏は、「花川戸」の文字が、菱形の中に収められ、柄のように見えるようデザインされています。大胆な柄なので、遠くからでも目立ちます。背中には「花川戸二」を略して「花二」の文字。色は町会半纏が紺色、青年部が緑色です。どちらもかっこいいですよ。
仲がいい花川戸一、馬一
三町連合での行事も

 互いに隣接する履物の町、花川戸二町会と、花川戸一町会は、もともとはひとつの町会だったのかもしれませんね。これに馬一町会さんに加えて、三社祭など大きな祭りやイベントの時は、三町合同でやることが多いんです。盆踊りはもう30回も三町合同でやっているそうです。同じ浅草小学校の校区内にある町会なので気心も知れていますから、仲が良いですよ。縦のつながりが強くて、先輩は怖いですが(笑)。
 花川戸ニ町会は、女神輿もあり、キレイな女の人が多いのが特長です。浅草美人をみたいなら、花川戸町会の神輿をぜひ、見てください。私も副部長として、一生懸命がんばります。

町会名の五十音順に掲載しています。
インタビューのもと文章を作成していますが、文章中にお気づきの点がございましたらメールでご一報いただければ幸いです。master@asakusa-e.com

無断転載をお断りします!

copyright